アメリカ合衆国国家歴史登録財(National Register of Historic Places)をご紹介。
ドナーレイク
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4年生の国語の授業で子供達が”Patty Reed's doll ”(パティー・リードの人形)という本を読んでいた時、私はこの出来事を初めて知りました。クラスでその本の学習が終わった時、ドナーレイクと歴史博物館に遠足で訪れました。
Patty Reed's doll |
途中、ルートを巡ってもめ事がおこり、隊が二つに分かれてしまいます。一方は通常のルート、オレゴン トレイル。もう一方は近道になるカリフォルニア トレイルを進むことになります。
近道のカリフォルニア トレイルを選択した一行は、隊の新たなリーダーとなったジョージ・ドナーとその一家や使用人たち、リード一家とその弟一家や彼らの使用人たちを含む総勢87名でした。息子達が4年生の時に読んだ”Patty Reed's doll ”(パティー・リードの人形)という本は、そのリード家の娘パティー・リードの物語です。
雪のため、道を閉ざされてしまったドナー隊は仕方なくシエラネバダ山脈の湖畔(現在のドナー湖)で越冬することになります。通常のルートを行った別の隊は予定通り、秋にカリフォルニアに到着しています。カリフォルニア行きのルートの最大の難所がこのシエラネバダ山脈越えだったそうです。
何人かの隊員達が雪山を越えて助けを求めて出発しますが、サクラメント側も冬が過ぎるまでは救援隊が出せず、最初の救援隊が湖畔に到着したのが翌年1847年2月で、最後の救援隊が全員の救出を終えたのは4月だったそうです。
東部からカリフォルニアまでの旅は当時では6ヶ月かかったそうで、予定が大幅に遅れた上に、そこで越冬しなくてはいけない一行の食料は当然のことながら尽きてしまいます。
救援を待つ間に寒さと餓え、病気や怪我で命を落とす者が続出し、生きてカリフォルニアの地を踏んだのは87人中48人でした。ほとんどが家族連れで、小さい子供もたくさんいました。
救援を待っている数ヶ月間、人々は死んだ家族や仲間たちの肉や内臓を食べることによって生き延びていました。生存者たちやカリフォルニアからの救援隊が目の当たりにし驚愕したキャンプでの惨状を後に語り、全米を震撼させたそうです。
カニバリズムというやつですね。
ドナー湖周辺はドナー州立記念公園(Donner Memorial State Park)になっています。
そこには1918年に設置されたパイオニア モニュメント(Pioneer Monument 銅像)があります。またイミグラント トレイル ミュージアム(Emigrant Trail Museum)もあります。ここでドナー隊の遺品や記録などを見ることができます。ネイティブ アメリカンの工芸品なども展示されています。
※Emigrant:移民
ここ、ドナー キャンプ跡はU.S. National Historic Landmark(アメリカ合衆国国定史跡)というU.S. National Register of Historic Places(アメリカ合衆国国家歴史登録財)にしてされています。
そして、California Historical Landmark(カリフォルニア州州定史跡)にも指定されています。
このドナー隊の悲劇がもとになった映画が『ラビナス』(Ravenous)です。
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