2012年4月13日金曜日

番外編:近況報告@日本 その2

例年より2〜3日遅れの開花宣言でした。ぐっとこらえて8分咲きで花見に出かけました。日本さくら名所100選にも選ばれた西日本有数の桜の名所で本桜で有名な津山城へ。ソメイヨシノが見事でした。お花見なんて十数年振りです。いい時期に日本に帰ってきたなぁと、しみじみと桜を眺めました。


ここでお城の説明を...。ここはその昔、美作国津山藩でした。この津山城の最初の城主は森忠政です。特に全国区で有名な大名ではありませんが、このお方のお兄さんが超有名。あの織田信長の小姓 森蘭丸です。
津山藩の藩主森家は5代で終わり、その後、越前松平家から松平宣富が新しい藩主として入封します。そして1871年の廃藩置県まで9代続きました。


下の写真、知新館といい、平沼騏一郎邸宅で。現在は市に寄贈されていますが、町内会の活動の場として使われているそうです。
この辺り一帯は武家屋敷が建ち並ぶところで、現在でも古いお屋敷を見る事ができます。平沼家は代々美作国津山藩士の家でその武家屋敷跡に昭和13年に平沼騏一郎の古希の祝いとして建てられたそうです。
ちなみに、たちあがれ日本の党首、平沼赳夫は平沼騏一郎の兄の子、つまり甥っ子ですね。


平沼騏一郎って誰?というお方に簡単にウィキペディアから説明を....
正二位、勲一等、男爵、法学博士、日本大学第2代総長、大東文化大学初代総長、司法大臣、枢密院議長、内務大臣、国務大臣、第35代 内閣総理大臣.....すごいタイトルです。
A級戦犯として終身刑となるも、病気仮釈放中に死去。
余談ですが......,この家の裏庭とうちの母の実家の裏庭が隣同士で、母が言うには、子供の頃、土塀が崩れてできた穴から忍び込んで(なんということを...)、平沼家の庭によく出入りしていたそうです。2度ほど本人を目撃したことがあるそうで......。

せっかく5年ぶりに帰ったので、墓参りもしてきました。で、母の実家のお墓のお向かいさんのお墓がちょっと有名。赤穂浪士四十七士 の一人 茅野常成の実家のお墓。
茅野家はもともと、美作国津山藩森家の家臣の家柄だったのですが、お父さんが政争に巻き込まれて追放になり、後に赤穂藩浅野家に仕官したということです。へぇ〜〜〜。
もう一人有名な人。箕作 阮甫(みつくり げんぽ)。美作国津山藩士で代々医者の家系。なのでこのお方も医者で蘭学者だったのですが、後に洋学を学び洋学者となり幕府の翻訳員となります。ペリー来航時に米大統領国書を翻訳したり、対露交渉団の一員として長崎にも行き、蕃書調所(ばんしょしらべしょ)の首席教授に任ぜられ、幕臣に取り立てられた人物だそうです。へぇ〜〜。
出雲街道にある箕作阮甫の生家
国の史跡に指定されている
あっちこっち回っていろいろ勉強になりました。


番外編:近況報告@日本 その1
番外編:近況報告@日本 その3

4 件のコメント:

  1. 素晴らしいですね。ため息が出ました。
    観光ポスターみたいに撮れていますよ。桜とお城の組み合わせが素敵です。
    春の「津山城」、いつか行ってみたいと思いました。

    お花見させていただきました。

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  2. MEEKさん
    コメントありがとう。
    全部iPhoneで撮影をしました。こっちはフリーWiFiがアメリカのように普及していないので、私のiPhoneはただのカメラになってます(笑)
    桜は今、満開です。また散りはじめを見に行きたいなぁと思っています。

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  3. こんにちは。通りすがりの平沼騏一郎ファンです。
    お母様は平沼男爵本人をご覧になったのですか!!!
    羨ましすぎます!今の時代にもあの人がいれば…とブログと関係のない感慨に耽りました(汗)
    津山城の桜、綺麗ですね~!

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  4. 匿名さま
    コメントありがとうございます。
    そうらしいです。母が言うには、子供の頃、自宅の裏庭から平沼家の土塀の穴から庭に忍び込んで松の木に登って遊んでたらしいです(笑)。もちろんご本人は東京在住で、津山の邸宅は別邸というか実家なわけですが、滅多に帰ってくることはなく、使用人が時々いるくらいでほとんど留守なので穴から出入りして遊べたそうです(笑)。出入りするたびに穴が大きくなって .....と言ってます(笑)。
    ご本人が稀に津山に帰郷した時に道を歩いている所とか、ご近所が提灯行列でご本人をお迎えした時などに目撃したそうです。76才になる母の悪ガキ時代のお話です。
    津山城の桜は今、散り始めで綺麗です。

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